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昭和7年(1932)1月10日、久留米市生まれ。
銀水国民学校、三池高校、早稲田大学法学部卒。 昭和29年毎日新聞入社。社会部副部長、サンデー毎日編集長、論説委員を経て教壇に立ち、帝京平成大学教授(情報社会論)など歴任。 社会・メディア評論家として執筆・講演活動を行なう他、コメンテーターとしてテレビ・ラジオに出演。 「サンデー毎日」編集時代にはイエスの方舟事件をスクープ。 福岡ダイエースパイ事件では、パリーグ特別調査委員を務める。 主な著書に『野球ふしぎ発見』(毎日新聞社)、『現場からみた出版学』(共著・学文社)などがある。 大牟田の未来を考える「東京-大牟田フォーラム」のメンバー。 野球文化学会幹事を務め、論文集『ベースボーロジー』を刊行している。
暑さの残る秋の一夜、作詞家・丘灯至夫さん(82歳)の作詞生活60年を祝う会に出た。丘さんは毎日新聞記者として私の大先輩にあたり、作品の多くは記者活動の合間に生まれている。約2000曲のうち、誰にも知られているヒット曲といえば、戦後歌謡の代表曲といわれる「高校三年生」で、NHKの「21世紀に残したい歌」のトップにランクされている。
会の開幕は、学生服、セーラー服姿の野坂昭如、永六輔、小林亜星トリオによるこの歌、最後はむろん、舟木一夫の歌に合わせた大合唱で、参加者たちはセピア色の青春の風景を胸に甦らせた。
「高校三年生」がヒットしたのは昭和38年、歌詞には、「甘く匂う黒髪」や「フォークダンス」とあり、ほろにがく、甘く切ない青春の命を高揚させる。私が高校3年生だったのはその14年前のこと、男女共学になる以前で、そんな甘さがあるはずはなく、戦後の混乱をひきずっていた。敗戦は旧制中学2年生、いまも同期生が集まると、語り合うのは戦争末期と戦後間もない時代のことになる。
同期生の谷本忠臣氏がその想い出を数多くのスケッチと記録に刻んでいる。本欄のカットもその一つ、天皇・皇后の御真影が収められた「奉安殿」を仰ぎつつ整列登校するわれら軍国少年の姿である。軍事教練は日露戦争を戦った配属将校のS中佐、木銃のさばきが悪いと「横メーン!」とやられた。
戦後末期となると勉強どころでなく、工場や農村の勤労動員に駆り出された。農家での銀メシのうまかったこと。炭鉱の貯炭場では捕虜、強制連行の朝鮮人、中国人と労働を共にすることもあった。作業の合間にはオジサン、オバサンから「わい談による性教育」を受けた。
やがて空襲が激化、大牟田は工場地帯なので、昼間の攻撃、機銃掃射、夜間の焼夷弾攻撃である。私もそうだったが、学校近くに住む者は「学校防衛隊」として夏休みでも登校した。自分たちがつくったタコツボ防空壕に身をひそめ、何度かグラマン、ロッキード、双胴のノースアメリカンP51の襲来、機銃掃射、空中戦を目撃した。
昭和20年8月9日午前11時、私たちは有明海をへだてた西方、雲仙多良岳上空に立ちのぼる奇妙な雲を見た。B29の襲来で空襲警報が出され、解除になって防空壕から校庭に出てしばらく後だった。一瞬の閃光のあとにわき上がる不気味な雲。その形を見て「あのカボチャ雲はなんだ!」の叫びが聞こえた。長崎原爆投下のキノコ雲と知るのはのちのことになる。
敗戦直後の校内で肩をいからせていたのは予科錬や特攻がえりの「復学組」である。首に白いマフラーを巻いた飛行服姿、手には「海軍精神注入棒」を持って校内を闊歩する。中庭で上空、めがけてけん銃発射の場面に震え上がった記憶もある。教員たちも恐れを抱いたのか、彼らの大半は昭和21年3月、"卒業"という形で去っている。
占領軍による軍事教練用の銃器の押収、教科書のスミ塗り。やがて教室は平和を取り戻し、旧制中学から高校への制度改革、こうして高校2回卒として私達は大学へ、社会へと進んでいった。
あの時代から半世紀、いま郷里・大牟田は変貌した。明治6年官業として創業、すぐに三井経営となった三井三池炭鉱は平成9年3月30日、124年の歴史を残して閉山した。石炭から石油へのエネルギー転換、その間に起こった大争議、炭じん爆発事故。大争議の時は私自身、新聞記者として取材の現場に立った。
石炭を失ったいま、大牟田はどう甦るのか。在京の出身者たちが地元関係者とヒザをまじえて話し合う「東京-大牟田フォーラム」がある。さらに「大牟田大使」として地元のPRにつとめている。フォーラムのメンバーに同窓生として名を連ねているのは私のほか、毛利恒之(作家)森田良民(会社社長、関東櫪友会会長)小邦宏治(岡山理科大教授)藤吉洋一郎(NHK解説主幹)梅崎寿(運輸省事務次官)大津英敏(画家、多摩美大教授)各氏らである。
また、年に一回、関東地区の同窓生がつどう「関東櫪友会」が開かれる。世代を超えてふるさとのこと、遠い日の思い出を語り合い、最後には「蒼穹万里天翔ける 図南の鵬に憧れて……」と校歌の大合唱で青春の日々を懐かしむ。
鳥井 守幸